椎葉生まれのママが出迎える、ニシタチ1優しいスナック
|椎葉の里 ひなた
伝説残る「椎葉の里」で育った、はんなりママ
突然だが、「平家落人伝説」という椎葉村に伝わる物語を聞いたことがあるだろうか? 宮崎県の北西部に位置するその山深い村には、源氏の武士と平家のお姫さま2人の、悲恋の物語が渾々と語り継がれている。
今回伺ったのは、そんなロマンチックな村で生まれ育った甲斐田鶴子ママが営むスナック「椎葉の里ひなた」。ニシタチで働き始めてからはまだ10年にも満たないという田鶴子ママ。それまでは名古屋で、看護師としてキャリアを積んでいたという異色の経歴の持ち主でありながら、そのはんなりと落ち着いた佇まいでファンの多い。これまでの経歴について伺うと「私なんかでお話できることがあるかしら」と控えめなトーンで、椎葉村を出て、お店を始めるまでのストーリーを教えてくれた。
「椎葉村の出身なのですが、宮崎で准看護師の学校に通って、19歳からは名古屋に住んでいました。49歳くらいの時に、宮崎に戻ってきて。それまでは看護師として働いていたんですけど、なんだか色々なご縁でスナックのママとして働くことになって。人生何があるか分かりませんね(笑)。お客さまに支えられながら、この店も今年5年目を迎えようとしているところです」
「椎葉平家まつり」は毎年恒例のメインイベント!
お店の名前からも分かる通り、椎葉村贔屓の店である。入店時に目に飛び込んでくるのは、壁面に大きく飾られた「椎葉平家まつり」のポスター。聞けば、毎年11月に開催される「椎葉平家まつり」(2020年はコロナ禍のため中止)へは、お客らとバスを一台貸し切って観覧ツアーに出かけるのだそう。朝6時には宮崎を出発し、ママが夜な夜な仕込んだお弁当をつまみに宴会をしながら向かうのだとか。
「とっても楽しいですよ。もう5回以上参加してくださっているお客さまもいたり、奥さまやご家族を連れていらっしゃる方もいます。東京や大阪、京都から参加される方も。椎葉のお祭りは都会と違って、小さな規模でやるから、その情緒がいいのかもしれませんね。今年は中止になってしまったけど、またみんなで行くのをとても楽しみにしているんです」
源氏と平家が出会う物語を3日間の催しで再現するこの祭り。中でも武者行列は京都から取り寄せた本格的な衣装を着た演者たちが立ち並ぶ、豪華絢爛なショーだ。帰りにはみな揃って、特産品や地酒を山のように買い込んで帰る。それだけでも経済効果がありそうだ。ママ曰く、いつも応援してくださる椎葉の方々、そして故郷へ少しでも恩返しできればという一心なのだそう。お店で出している小料理にも、椎葉の食材がふんだんに使われている。
「椎茸を焼いて生姜醤油で食べていただいたり、新そばの季節にはそばがきをお出ししたりね。椎葉ではワカサギも取れるから、焼いてお出ししたりとか。予約をもらえればしし汁もお手製のものを出しますよ。他にも椎葉村には日本で初めてできたアーチ式ダムや焼畑で作る蕎麦など、観光地や特産品もたくさんあります。都会からUターンしてこられる若い方も増えているみたいで。故郷にはとってもお世話になったから。お客さんに椎葉の魅力を伝えることで、少しでも恩返しできたらいいなと思っています」
「かてーりの里」の精神を大切に
19歳で後にした故郷について語る口ぶりの暖かさに、椎葉の人は皆、ママのように温かい人柄なのだろうかとふと疑問が湧いた。聞いてみると、椎葉には「かてーりの里」という言葉があるのだそうだ。「相互扶助」、「結の心」という意味で、誰かが困っていたら助け合おうという精神が、村全体に受け継がれているのかもしれない。
「私はお酒も飲まないし、夜の仕事は向いてるのかなと思うこともあるけれど、お客さまからたくさんのことを学び、支えられながらここまで来ました。今も『絶対また復活するから、今は辛抱して、耐えてがんばろうね』と励ましていただいています。」
日本版ロミオとジュリエット。そんなロマンチックな伝説が伝わる椎葉村の魅力を、少しでも多くの方に伝えたいという田鶴子ママ。そんな魅力溢れる椎葉村の「かてーりの里」精神は、ニシタチという多様な文化を内包するこの街でも、しっかりと伝承されていくに違いない。
取材・執筆=倉本亜里沙、撮影=田村昌士
Data
甲斐田鶴子
宮崎県椎葉村出身。趣味はジムに行ったり走ったりすること。お料理が得意でお裁縫も好き。お店オリジナルのスタンプカードも配布中