一杯の日本酒が、肩の荷を少し軽くしてくれる
|糀素弓
ニシタチの外れに佇む、一軒の日本酒の店
「スナック談義」をしていると度々議論に上がるのが、何をもってスナックか、ということだ。一応私(筆者)なりの解釈では、「カウンター越しにママ・マスターと酒と会話を楽しむ店」としているのだが、スナックのはっきりとした定義はない(らしい)。今日やってきた「糀素弓(はなそゆみ)」も、一見すればスナックらしからぬ店構えだが、ここも私の解釈上は立派なスナックだ。
「糀素弓」はまだオープンして2年ほどという比較的新しい店ではあるが、私の周囲にもファンを自称する人は多い。まず、名前が洒落ている。「糀(こうじ)」と書いて「はな」。「素弓」はママの黒木素弓さんから取っている。
店名からも想像できるが、ここは日本酒の店だ。店先には杉玉がぶら下がり、カウンターの中にはガラス戸の冷蔵庫によく冷えた日本酒が並ぶ。原則的に昼間から営業しているというのも、幅広い世代のファンが多い理由だ。
「コロナが流行り始めてから、早く開けて、早く閉めるようになりました。ニシタチは夜が賑わう街ですけれど、昼飲みができる店があってもいいかなと思って。早い時間はリタイアされたご高齢の方とか、スーパーの買い物ついでに立ち寄られる主婦の方もいらっしゃるんです」(素弓ママ)
安心できる、もう一つの居場所を作りたかった
山口県の公務員の家庭に生まれた素弓ママは、父親の仕事の関係で幼い頃から転勤族だった。長崎で青春時代を過ごし、大学は広島へ。店に立つ以前のキャリアはなんと教員。養護学校や特別支援学校の教師として、子どもたちに寄り添う日々を送っていたという。
そんな素弓ママが、なぜニシタチで店を開くことになったのか? きっかけは、ママのバックグラウンドに由来する。
「住む場所を転々としていたからか、たまに急に寂しくなることがあって。そんな時は決まって、喫茶店とかに一人で行っていたんです。家と、学校と、もう一つ、ほっとできる居場所を探していたんだと思います。だから、いつか私もそんな思いをしている人が安心できる場所を作りたかったんです」
店にかけられた暖簾には確かに「SAKE CAFE」という文字がある。喫茶店のように、静かにくつろげる場所をという素弓ママの思いが、ここにも滲み出ている。ちなみにメニューの中には、ちゃんとコーヒーもあるのだ。
日本酒は一からの勉強。酒好きの客が一番の“師匠”
母親の実家がある宮崎に戻ってからも教壇に立ってはいたが、その後こちらで出会った夫と結婚すると、二人で念願の飲食店を開くことに。それが、現在も西橘通で営業する居酒屋「やまぢ」だ。残念ながら2021年の4月末で閉店の予定だが、鶏の炭火焼きが有名で、こちらもこちらでファンが多い。
「『やまぢ』は営業を始めてもう20年になります。以前は福岡などにも店舗を出していたのですが、人手不足もあって今の店舗1つに集約しました。私も長らく『やまぢ』にいたのですが、あちらはお店が広くてお客さまともゆっくりお話ができませんでしたし、もう少しコンパクトでお客さまのお顔が見えるお店をやりたいと思っていたんです」
そうして運よく今の物件を見つけ、オープンに至った。日本酒の店としたのは「宮崎に日本酒の店があまりなかった」という理由と、「着物で仕事がしたかったから」。しかし素弓ママ、「やまぢ」で焼酎には詳しかったが、日本酒は全くの素人だったのだそう。
「勉強はまず本。いろいろと読みました。でもやっぱりどれだけ「辛口」「甘口」と言葉で理解しても、飲んでみないとわからない。それに、一人では飲める量にも限界があります。ですから、いっそのことお客さまに教えていただこうと思って。それからはいらっしゃった日本酒好きの方から勉強させていただいています」
日本酒と相性抜群の素弓ママのツマミに舌鼓
今では店には15種類前後の日本酒をラインナップしている。素弓ママのおすすめは「旨口」の酒。味がしっかりとして、飲みごたえがあるものだ。
また、「糀素弓」では日本酒に合うツマミも豊富に取り揃えている。一押しは分厚くジューシーで、表面をカリカリに焼いた、新潟名物「栃尾のあぶらげ焼」。プレーン、納豆入り、ねぎみそ入りを用意する。
「あぶらげ焼は、以前新潟の酒蔵めぐりをした時に出会った食べ物。その時は八海山の八海醸造、久保田の朝日酒造、緑川の緑川酒造を回ったのですが、新潟ではどこの居酒屋にもこのあぶらげ焼があって。食べてみたら、これまたとてもお酒に合う。ぜひうちの店でも出したいと思い、それからは定番メニューになっています」
ほかにも、「やまぢ」のみやざき地頭鶏メニューのほか、炙りしめさばなども。メニューに使う新鮮な野菜は週に1度八百屋が旬なものをチョイスし、持ってきてくれるのだそう。
「料理は日々研究です。でも、料理に力を入れすぎてしまうとお客さまとのお話がなかなかできなくなってしまうので、あくまでできる範囲で」と素弓さん。
「やっぱり、原点は『お客さまがお酒と会話を通して、安心していただける場所を作りたい』という思いにあるんです。ここに来れば、とびきり元気になれるというわけではなくても、ちょっとエネルギーチャージをしてもらって、肩の荷をおろしてもらえたら私も嬉しいです」
取材・執筆=田代くるみ、撮影=田村昌士
Data
黒木素弓
山口県出身
最近クロスバイクを始めたばかり。「タイムを競うのではなく、一人で気ままに走っています」と素弓ママ