ピアノの音色に身を委ねる、ニシタチのいい夜
|ピアノラウンジ バラード
ニシタチの喧騒を忘れる、大人の空間へ
グランドピアノをぐるりと囲むカウンター、バラの花のように艶やかな紅色の床、そして西橘通りの喧騒を忘れさせるしっとりとした空気。「ピアノラウンジ バラード」は、まるでここがニシタチであることを忘れてしまうような場所だ。
「こんな素敵なお店があったなんて!」
バラードに初めて足を運ぶ大抵の人は、第一声でそんな感嘆の声を上げる。そして、店を出る頃には「絶対にまたここでお酒が飲みたい」と思ってしまうはずだ。特に音楽好き、歌好きにはたまらないのが、プロのピアニストによる生演奏に耳を傾けながら酒を飲むことができ、更にその演奏に合わせて歌うこともできる(※)。そして時には、音楽好きの客がサックスなどを持ち込み、即興でセッションすることもあるのだ。
創業してから約40年以上、酒好き、そして音楽好きの心を掴み続けてきたこの店は、ママの久保田留美子さんが切り盛りし、政治家や経営者、音楽家をはじめ多くの人に愛され続けてきた。まずはその歴史を紐解いていこう。
店の起源は、ママが夫と開いたジャズ喫茶に
バラードの源流は、かつて現在の宮崎県立宮崎病院の近くにあったジャズ喫茶「フレンド」にある。フレンドは北海道出身の留美子ママが、東京で出会った夫と二人で始めた店だ。
「夫は元々『東京キューバン・ボーイズ』にも所属していたトランペッター。東京で活動していて、その後は鹿児島の城山観光ホテルなどで演奏しながら、バンドを3つくらい仕切っていたんです。フレンドは、夫が地元の宮崎に帰ると決まって、二人で開いた店でした。私たちは二人とも音楽が大好きだったから、店も生演奏を楽しめる店にしたくて。36坪ほどあった店内はレストランのようにもなっていて、お庭もあったんですよ」
時はバブル全盛期。人々が人生を楽しむ要素の一つとして酒や音楽に惜しむことなく時間とお金を使えた時代で、店も軌道に乗り、「もう一店舗出してみよう」という二人のアイデアから生まれたのが、現在のバラードである。ちなみに店名のバラードは、かつては当て字で「薔薇憧」。これはママが夫婦で考えた名前で、店には毎日バラの花が飾られていたという。
上の写真は、開店当時のバラードの様子だ。トランペットを演奏する男性が留美子ママの夫。カウンターの中に座っているのが、若かりし頃の留美子ママである。日本が好景気に湧いていた当時、クリスマスシーズンになるとバラードのグランドピアノの上にはプレゼントが山のように積まれていたそうだ。
ここでしか叶わない音楽、会話、空間を
かつてはシャンソンの歌い手としてマイクの前にも立っていたという留美子ママ。ママ曰く「恋煩いをしてしちゃって(笑)」と最近はめっきり歌うことはなくなったそうだが、今では多くの音楽好きが店を訪れ、演奏したり、気持ちよさそうに歌ったりするのを眺めているだけで幸せだという。
「ニシタチはどこで飲むお酒もおいしいでしょうけれど、せっかくバラードに来てくださるなら、心からお客さまには満足していただきたいでしょう。だから、皆さんが思い思いに、好きな時間を過ごせるようにしてるんです。楽器を持ち込んで演奏するのも、お客さまが歌うようになったのも、『ここで演奏してみたい』『私もここで歌ってみたい』という要望を受けて、始まったお店の文化なんです」
必ず「いい夜だった」と思ってもらいたい——そんな留美子ママの信念は、ここで働くピアニストやスタッフにも深く根付いている。バラードでピアノ演奏を担う、まりさんは次のように話す。
「私は元々ピアノの先生をやっていたんですが、ご縁あってここでもう20年以上働いています。バラードは、ピアニストである私のような人間にとっては、とてもレベルの高い場所だと思うんです。カウンター席からすぐ鍵盤が見えますから下手な演奏はできないですし、お客さまが歌われるとなると、求められるスキルも高くなる。それでもここで働き続けるのは、昔から変わらないママの『この店でしか叶わない、音楽、会話、空間を大切にしたい』というポリシーがあるから。ママは本当にいろんなことを教えてくれるし、私もそんなママと素敵なお店を作りたいと思えるんです」
音楽を愛した夫婦が作った店、バラード。「たくさんの人に、音楽のある『いい夜』を過ごしてもらいたい」という留美子ママの思いがあるからこそ、バラードには音楽と共に過ごす至高の時間が流れているのだ。
(※)新型コロナウイルスの感染拡大状況によっては実施しない場合もある
取材・執筆=田代くるみ、撮影=田村昌士
Data
久保田留美子
北海道出身
最近はノンアルコールも多いけれど、好きなお酒はよく冷えた 瓶ビ ール。バラードは玉袋筋太郎さんも御用達の店で、ママと玉袋さんは二人で秘密の話をした仲