この道58年、街を見守り続けたママに出会う
|食彩 華酔亭
着物姿が似合うイツ子ママ
「華やが酔う」と書いて華酔亭(かようてい)。そんな粋な名前のスナックが、ニシタチにはある。ママとの待ち合わせの時間、店の看板を背に待っていると、和装を着こなす素敵な女性がこちらへ歩いて来た。「取材で伺いました、今日はよろしくお願いします」と声をかけると、「あら、今日だったかしら? お待たせしてごめんなさいねぇ、どうぞ中に」と大きなドアを開け案内してくれた。
橙と青柳色が上品な着物で現れたこの方こそ、華酔亭のママである茶圓(ちゃえん)イツ子さんだ。「こんなことならもっといいお着物を着てくればよかったわ」と1人ごちる背中がチャーミングで、今日はリラックスしてお話を伺えそうだ、と初対面の私もすっかりリラックスしてしまう。それもきっと、この道一筋でここまでやってこられたイツ子ママのお人柄のなすところなのだろう。
通されたカウンターに腰掛けて、この道58年、今年80歳で傘寿を迎えたというイツ子ママに、お話を伺った。
華酔亭のお通しがおいしいワケ
この日出してくれたのは、「お通し」というにはあまりに素敵にしつらえられた一品料理の数々。お酒にはもちろん、つい米が食べたくなる誰もが大好きな甘辛い味付けがたまらない。スナックながら本格的な料理を楽しめる理由は、イツ子ママの経歴を聞けば合点がいく。
「私はもう、この道に入ってから58年経つんです。初めは大衆食堂から始めました。その頃とはずいぶん地理も変わったけど、10号線の通りにありましたんですよ。22歳くらいだったかしらね。調理師免許を取って、妹と弟と、3人で始めまして。職業安定所の近くだったし、近所で働いてるペンキ屋さんやなんかがよく利用してくださって。朝食やお弁当、定食を作ったりしていました。その食堂も、10年くらいは続けていたかな。商売をして58年間の中では、短かったですね」
10年もの間営業されていた食堂の歴史を「短い」と振り返るイツ子ママ。食堂を営みながら、ある友人との出会ったことをきっかけに、カクテルバーを出そうと決意します。
「えっちゃんって言って、カクテルを作る仕事をしていたのね。その頃はフィズがとても流行ったの。それで一緒にカクテルバーを出そうということになったんです。お店の名前は『チャンス』。いい名前でしょ?(笑) そこから、カクテルに関係するお店はずっとやっていたかな。クラブやバーの経営もしたし、料理人だった旦那さんを若くで亡くしていたから、夜間保育園も自分で作って、子どもを預けて働いて。主人が亡くなったあとは、宣伝酒場もやっていたんですよ。」
宣伝酒場と聞いてすぐにわかる人が、どれくらいいるだろう? 今のように広告を打つ方法が数多もなかった時代。メーカー自ら営業に来て酒を置いてもらい、店の外壁にオリジナルの広告看板などを貼って……と酒の“宣伝”になる人気の居酒屋を“宣伝酒場”と呼んでいた。板前さんと、制服で働くホールスタッフ。イツ子ママは女将として、2階建て、60坪ほどの店全体を取り仕切っていたという。今と変わらず和装を着こなし、広い店を切り盛りするイツ子ママも、きっとかっこよかっただろう。話を聞いているだけで、その姿が目に浮かぶようだ。
親子3代、受け継がれるママの心意気
「うちは両親が美郷町で林業を営んでいたんです。それもあって、『宣伝酒場 山芋』という名前でここからすぐ近くの上野町に店をオープンしました。だご汁とかとろろかけご飯とか出してて、とても美味しかったんですよ」
その頃には、ピーク時で7軒ほどの店を同時に経営していたというイツ子ママ。今でいう立派な“シリアルアントレプレナー”だ。「ずっと経営者なの。だから人の経営しているところで働いたことってないわね。お友達が多いから、頼まれて手伝いに行ったりは随分したんだけれど(笑)」とも話してくれた。その後、「華酔亭」の屋号で現在まで40年近く、スナックを営んでいる。
「この場所になってからは12年くらいだけど、前は高松町でやってたんです。でも本当に、こんな風に長くやってこられたのも、やっぱり人のおかげですね。何十年も務めてくださる方もいらして、本当に人に支えられて、ここまで続けてこられたんだなと思います。実はうちの2人の娘たちもそれぞれスナックをしているんです。『ひとよ』と、『プチモナ』という屋号で。25歳になる孫も、手伝っているんですよ。お店もう随分長くやってるお母さんよりもしっかりやってくれているんじゃないかしら(笑)。この間は80のお祝いで美味しいものを食べに連れて行ってもらって。温泉にも入って、最高でした! 2人とも本当にいい子たちでね、やさしいんですよ。」
そんな女手一つで経営と子育てを両立して来たイツ子ママだが、件の疫病にはやはり悩まされているようだ。
「お客さんが0の時なんかには、さすがにがっくり来ちゃう。12時頃には閉めて、娘の店でいっぱい飲んで帰ったりするんです。ここまでは従業員の方達がいたから、やめるなんて弱気言ったら申し訳が立たない。ここまでは従業員の方々と一生懸命、頑張って来たんですけどね」
そんな風に漏らしていても、取材の途中、常連客が入ってくると、ひときわ生き生きとした様子でお酒を酌み交わしていたイツ子ママ。客がきた途端に纏う空気がふっと、変わったようにも見えた。きっとママにとっても客にとっても、この場所はずっと変わらず必要な居場所なのだ。58年もの間、この街を支える人気店を営んで来たイツ子ママは、もしかするとニシタチの守り神なのかもしれない。
上品でチャーミングなイツ子ママに癒される「食彩 華酔亭」。次訪れる時はぜひ、ママお気に入りの「レッドアイ」で乾杯して、秘伝の料理を教わりに来たいものだ。
取材・執筆=倉本亜里沙、撮影=田村昌士
Data
茶圓イツ子ママ
宮崎県美郷町出身
この道58年のプロ。趣味は三味線と民謡、それに料理。着物は自分で縫うこともできるそう。店で飲むのはもっぱら「レッドアイ」。